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郷土資料館へ その2 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 朝から震度4の地震でたたき起こされましたが、さすがに家具の固定には自信があるので、布団の中で知らんふり、それ以上に寒くて布団から出られませんw。室温は限りなく10℃です。早々にエアコンのスイッチを入れてみました、一時間の電気代が4.2円の表示です、昨日の概算でみると、ほぼ1kWで動いているようです。
 それにしても、うんざりするくらい元気よく雨が降ってくれます。何処にも遊びにいけない、雨の週末は、オフコースのSELECTION 1973-78 初のベスト盤ながら全般にしっとりした選曲で、雨の日にはほのぼの聴ける1枚ですw。

71) 郷土資料館へ その2
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾も終わって、その脚で船橋市郷土資料館へ向かいました。あまりに見るものがなくすごすごと撤収ですw。

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 なんだか、楽しげな施設に見えますが、航空自衛隊の落下傘の訓練施設です。小学生の頃授業中に、遠くの空の飛行機のおしりから、ごま粒のようものがぱらぱら、落ちては空中でぱっと広がり、並んで落ちていく落下傘の訓練を眺めていたものです。
施設もあまり変わり栄えしないのは、落下傘も訓練内容もあまり進歩していないと言うことなのでしょうか、生活を取り巻く電化製品は物凄い速度で進化している事を思うと奇妙なものです。

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 こちらは帰り道の、成田街道沿いで見つけた、倉庫的な何かですw。ちょっと驚くべきは、屋根の上に付いた換気口?、養蚕をしていた民家では「息抜き」という名前の、もっと小型の窓が付いていますが、ここまで不大胆だと、一寸面白いです。
どう考えても、雨が吹き込んできます。換気効率は抜群なのは、良く解かりますが、冬は寒くて敵わないでしょうw。一体何の施設なのか全く想像できません。家畜小屋という感じでも無いですし、雨の吹き込んでいい工場とは?

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 ちょっとコースを変えて、高根台の住宅地を抜けていきます、大きな公園を通り抜けた交差点に、また微妙なものがありました。
変形した平面なのに、ボールトの大屋根をかけて、余った部分を比較的な平ら勾配屋根で埋めて、しかも躯体の内側で収めています。雨じまいに相当不安が残りますが、やりたかったんですねw。
 しかも側面のぎざぎざ屋根をやっておいて、その下には大きく張り出す庇、しかも妻面にはハイサイドライトらしきものまで、付いています。
設計者の拘りだったのでしょうか、でも何か憎めないですねw。

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そして、滝不動駅を過ぎて、また住宅地に入ります。前回と同じコースなのですが、丁度住宅地が終わった辺りに、二本の道路を挟んで、盛り上がった植栽帯が続いています。大きな道路ならば、ありそうな感じなのですが、駅からも随分離れた住宅地と農地の境目のような所です。
 捕込(とっこめ)か土塁かなんて、考えていたのですが、どうもしっくり来ません。
家に帰って、地図で場所を確認して、わかりました。どうやら、御滝不動尊の参道のようです。鹿のいるお寺さんのようなので、機会を改めて見に行ってみることにします。

おしまい。

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郷土資料館へ その1 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 猛烈に寒いです。手摺の表面温度は7℃w、室温は10℃、よりによってこんな時にホットカーペットが、他界しました。居間にはもはや何一つ暖房設備がありませんw。熱燗だけで乗り切るしかないのか、それとも仕事部屋から出るなということなのか、神のお告げはいつもわかり難くて困りますw。
 今朝のBGMはCarey Bellの Heartaches and Pain 1977年のアルバムです。師走になりましたし、シカゴブルースのハープものんびりしていていいものです。

70) 郷土資料館へ その1
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾も終わって、時計はまだ1時前。自転車で出てきているので、船橋市郷土資料館に行ってみることにします。
でも、その前にお昼ご飯です。「44話 佐久間牧場へ その2」で食べそびれた、「大乃路」というラーメン屋さんに向かうことにします。もう、ランチが始まっている筈ですので、今回は大丈夫でしょう。
 佐久間牧場へ その2 http://nijiura.blog.so-net.ne.jp/2011-10-28-5

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 自転車で三咲駅へ向かいます。自転車を停めて、いざ駅へ。それにしても凡庸を絵に描いたような駅舎で微笑ましいですw。

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 大乃路は駅舎の中にあります。改札を出て左に曲がった所です。今日はちゃんと営業していました。写真で店内が暗く見えるのは、以前の写真を流用しているからですw。

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 醤油ラーメンはこんな感じです。背脂たっぷりですが、出汁が濃厚なのにすっきりしています。女性陣にうれしいのは、ランチサービスの時はどのメニューでも500円、麺の量は並みでも中でも大盛りでも、値段は一緒。
味もボリュームも値段も満足です。近いうちに又来てしまいそうです。
 さて、食欲も満たされましたし、郷土資料館を目指します。コースは43~45話の「佐久間牧場へ」の時と同じで、佐久間牧場から見えた巨大な高根台団地を抜けて、成田街道に向かいます。
成田街道を東京側に曲がったら、自衛隊の正門の向かいくらいにあります。

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 郷土資料館に着くと、入り口にはD51がお出迎えです。でも、広島や名古屋の方で活躍していたみたいで、特に船橋の歴史には関係ないようですw。静態保存のようですが、よくメンテされているようで、車両はぴかぴかです。ちょっと、鉄分を補給しておきましょうw。

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  郷土資料館は昭和の香りがぷんぷん漂うデザインです。ポーチの上の手摺のデザインがかつてのモダニズムを感じさせます。勿論建物は、使い回しではなく昭和47年に、郷土資料館として設置されたものです。
かなり、古びた玄関を入ると、ホールとおぼしき場所は、展示室からはみ出した、展示品が陳列?されています。上総国分寺(市原市)の屋根瓦や、下総国分寺(市川市)の屋根瓦などが並んでいます。
またしても、船橋とは関係がないような気がするのですが、きっと、突っ込みどころではないのでしょう。
 勿論、入館料は無料なので、文句を言うべき所でもありませんがw。
1階は特に見どころもないので、2階に上がってみます。

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 2階の展示室も、船橋市の歴史のパネルと古い農具などが並んでいますが、あまり興味を引くものがありません。郷土資料館なのだから、まあこんなものなのでしょう。
凄いものといえば、やっぱりこの天井です。ダウンライトみたいに見える、丸いものが所狭しと並んでいますが、点いている物はなく、その傍らに几帳面に正方形の穴が、あてどもなく並んでいます。
この天井が、作品だったようですw。作品収蔵の都合なのでしょうが、冷房が効き過ぎていて、お腹が痛くなってきます。

 パネルを眺めていて発見したのですが、柏上(かしあげ)遺跡 AD400年、八木が谷5丁目です。場所は前回紹介した王子神社の東側です。聖徳太子の時代に、あそこに人が住んでいたのですね。ちょっと驚きです。
さて、3階は…ww。 さあ帰るとしましょう。

郷土資料館へ その2に続きます。

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八木が谷方面を歩こう その4 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 気が付くと12月です。思えば、なんだか色々あった1年間でしたが、何ができたのかというと、少し微妙な気もします。今日から冷え込みが厳しいようなので、朝湯に浸かって、完全防備ですw。
 今朝のBGMはPat Metheny GroupのLetter From Home 1990年のアルバムです。Still Life (Talking)の次の作品ということもあって、前作とアルバムの雰囲気はとてもよく似ています。天気、季節に依らずいつでも、気持ちよく聴ける一枚です。

69) 八木が谷方面を歩こう その4
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾です。今回はタイトルの通り、八木が谷地区を実際に歩いています。
曇り空の下、船橋八木が谷北市民の森の横の細い道を、謎の団体がぞろぞろと歩いていきます。
 土塁列から程なくして、お寺が見えてきます。長福寺です。

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 長福寺の境内に、八木が谷城の本殿があったと推測されています。境内の規模からすると、かわいいお城だったように思えます。
並んだ、お墓の中に、ひときわ大きいものがあります。升月亭居山の筆子塚です。升月亭居山は八木が谷のインテリで、塾を開き弟子は、八千代や白井の方にも居たそうです。
 筆子塚は、弟子達が恩師のために建てる供養等のことです。思ったんですけど筆子って中国語ですよね、認めたくない気持ちもありますが、やはり日本語は中国文化の影響を多分に受けていたのでしょうか?。

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そして、すぐお隣の大子神社に向かいます。首切り山のすぐ隣の八木が谷北小学校の中に、王子神社の敷地の記録があるので、もともとはそこの位置にあったのではと推測されています。
 後にこの位置に移設されたようです。

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 参道です。かつては、ここも八木が谷城の土塁列が伸びていたそうですが、城跡と認められなかった事もあって、取り壊されてしまったそうです。

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 境内には大きな欅の木が2本生えています。船橋の名木10選に認定された木で、高さは27m、幹は3.7mもあります。ガンダムが18mですからって、比較になりませんねw。
しかも2本に見えるこの欅は、驚いたことに、実は根っこが繋がっています。

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 神社の横の、擁壁の下はかつて水が湧いていた湿地だったそうです。八木が谷城のお堀と考えられています。神社を出るとここにも庚申塚が並んでいます。ここでも、説明があったのですが、メモが見つかりません…w。
見学はここでおしまいです。市民の森を通り抜けて、住宅地を抜けて公民館に戻ります。

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 住宅地の一角に…。さすが地元。肩書きは財務大臣になっていますがw。がんばって欲しいですね。
あと、あまり貧乏を連呼されると、近隣としては一寸卑屈になってしまいますので…w。
 公民館に戻って、挨拶をすると即解散。八木が谷発見塾はおしまいです。
お昼には、何を食べようかな。

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八木が谷方面を歩こう その3 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

  悪友と一寸楽しむとこのざまです。今朝確認すると、空いた一升瓶が2本、やれやれひどい宿酔いですw。

68) 八木が谷方面を歩こう その3
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾です。今回はタイトルの通り、八木が谷地区を実際に歩いています。
野火止道沿いのチューリップ公園から、再び野火止道に戻り西に進みます。そして道路は突き当たりになります。
 突き当りには石碑が立っています。道路改修記念碑と馬頭観世音供養等です。

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 野火止道の終点と直行する、この道は昭和10年から12年にかけて村の人たちが、土地を寄付し自力建設で作ったものだそうです。こちらも、かね塚と同様、八木が谷から木下街道へ向かって、旅に出る人のための安全祈願の場だったそうです。
特に、輸送関係の仕事の人のための拠り所だったそうです。
 さて、ここで疑問なのは、何故、野火止道が途中で終わってしまったかです。ここで終わったら、普通に考えてこの先で延焼して、火は回り込んで、皆、燃えてしまいますよね。
そこで、先生に質問してみました、「えーっ、わかんないな」まあ、当然です。いくら詳しい方でも、何でも知っているわけではないですよね。
 虹の仮説としては、この先から1)開墾されていて畑か田んぼなので延焼はなかった、2)湿地だった 3)牧場だった 4)防火地域だった
まあ、良く解かりませんw。

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 八木が谷橋から二重川を渡り、畑も中の緩やかな上り坂を歩きます、畑の先に見える森が、船橋八木が谷北市民の森です。首切り山(王子遺跡)や八木が谷城の城内になります。
畑の中の細い道を通り八木が谷墓地を通り抜けます。八木が谷墓地は八木が谷村の共同墓地で、墓石は余りありません。というのも、こちらの風習で、埋墓と詣り墓は別にしていたそうです。こちらは埋墓(ソトラントとも言うそうです)で、亡くなった人を特に区画を決めずに埋設し、その上に土を盛り土ダンゴを作っていたそうです。
そして、この先の長福寺が詣り墓で、墓石はそちらにおいていたそうです。


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 森に到着です。森の入り口のちょっとした広場が、首切り山です。ここから、沢山の人骨と青石板碑が出てきたそうです。
地元の言い伝えでは、八木が谷城のあった頃、罪人が処刑されたとされていますが、発掘調査の結果では、中世の墓場と考えられ、王子遺跡の名前が付けられています。
勿論、きょろきょろしても、人骨らしきものは見えませんでした。

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 森をでて、森の境界沿いの細い道を歩いていきます、牛小屋の横辺りで、先生が森の方を指差すと、僅かばかり、土手上に土が筋状に盛り上げられているのがわかります。反対側の牛小屋の先も、又同じように盛り上げられたものが続いています。
これが、八木が谷城の土塁列です。言われなければ全く解からないほどです。
それにしても、ひどい写真です。一寸暗いとこのざまですw。

八木が谷方面を歩こう その4に続きます。


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八木が谷方面を歩こう その2 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 今日は、朝からケーブルTVの撤去立会い、午後から、後輩と悪友が遊びに来ます。これじゃ仕事にならないかなw。とりあえず、机に向かってみますが、ちょっと怪しげ。
 BGMはThe DamnedのDamned But Not Forgotten 82年から86年の、没テイク集です。失敗作の寄せ集めをオムニバスと呼べるかどうか解かりませんが、パンク臭くなさが好きです。といっても、月曜日の朝からパンクというのは…。
 

67) 八木が谷方面を歩こう その2
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾です。今回はタイトルの通り、八木が谷地区を実際に歩いています。
にじ御殿に近づき二重川に辿り着いた所からです。前話までの写真では、自然味溢れる、気持ちのいい川でしたが、反対側はこんな感じで、その先は塞がれてしまって暗渠になります。

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 ここでレクチャーです。こちらが滝口先生。

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 にじ御殿のある高野台に向かうこの橋は、高野橋です。かつては学用道路と呼ばれていたそうです。実は用水路のような二重川もかつては、一寸怒りっぽくて、しかも橋がないために、高野台の小学生はバスに乗って鎌ケ谷周りで通学しなくてはならなかったそうです。
高野台は、実は船橋市の陸の孤島だったのですねw。住民達の自力建設(不用品を投げ込んだだけとの話もありますが)により、何度か橋というよりは、飛び石的な何かが作られては、流されたそうです。
 そして、昭和37年に市に陳情して、橋がようやく架かり、そのことを忘れないために、学用道路と呼んだそうです。
何気なく自転車で通過する橋でしたが、にじたちも、住民皆様の苦労を胸に刻み、学用道路と呼ばせて頂きます。今や住宅地では、ただの明渠と成り下がって橋の存在にも気が付かない二重川ですが、僅か50年で随分様変わりしたようです。
レクチャーから一転、高野台に向かって歩きます。毎回、滝口先生は気持ちのいい切り替えをしてくれます。
 川を渡って高野台に突入、にじ御殿は緩やかな千葉段丘の坂の上のほうです。

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 坂の途中の道で、右折。これが47話の野火止道です。直行する真っ直ぐな道とは異なり、江戸時代に林の延焼を防ぐために作られた良い加減な道です。うねり方も気持ちがいいですよねw。
 48話:http://nijiura.blog.so-net.ne.jp/2011-11-03-2

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 野火止道の途中の公園に入ります。写真中央の奇妙な形をした滑り台のお陰で、地元ではチューリップ公園と呼ばれているそうです。トイレ休憩かと思えば、そうではありません。
道路に面した入り口は狭く奥に行くほど広くなるこの公園、先生は、その理由を皆に問います。
正解は、もとは池だったからです。船橋はもともと段丘の途中に湧いた池が多数あって、人口増加に伴い子供の池での事故が多発、その結果、池は殆んどが埋め立てられて公園になったそうです。

八木が谷方面を歩こう その3に続きます。

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八木が谷方面を歩こう その1 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 一寸慌しい、日曜日です。洗濯を済ませて買い物に出かけます。にじ御殿のかわいい庭では、ラズベリーが実を付けていました、夏の台風の塩害から息も絶え絶えでしたので、少しでも子孫を残そうという、本能なのでしょうか、今朝の一枚は、Fairport ConventionのRosie 1973年のアルバムです、マンドリンを多用した、フォークともカントリーとも付かぬ、陽気な構成が気持いいです。なかでもお気に入りは Peggy's Pub ご飯が3杯はいけそうですw。

66) 八木が谷方面を歩こう その1
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾です。今回はタイトルの通り、八木が谷地区を実際に歩いてみる事になっています。
すっきりしない曇り空、天気は何とか持ちそうですが、曇り空でもにじのデジカメはブレまくって、まともな写真が撮れません。
それが一番気がかりですそろそろ、買い合え時期ですね。
 今回は、時間通り10分前に公民館に到着、会場も人で一杯です。なんだかフィールドサーベイに相応しい、ポケットの沢山付いたベストに山高帽、キャラバンシューズそして左手には画板を抱えて、完全武装の人までいます。
にじ達は、いつもどおり普段着です。水筒くらい持ってくれば良かったかなw。
 講師は前回と同じく滝口昭二先生です。先生は10分前に現れて、携帯用の拡声器を準備すると、「さあ時間がもったいないので、さっさと行きましょう」
開始時間前なのにと、ちょっとあわてて、短い挨拶をするスタッフを尻目に、ちゃきちゃきと扉に向かっていきます。本当に面白い御仁です。

 公民館の玄関で、簡単にコースの説明をすると、あっという間に先頭を切って、北側の出口へと歩き始めます。その後ろを30人の変な集団がぞろぞろ続きます。
傍からみると、何の集団に見えるのでしょう。観光地でも行楽地でも自然を満喫する所でさえありません。
八木が谷小学校の横の畑の間の道を南に進むと、小さな盛土の小山があります。

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 庚申塚なのですが、この辺りではかね塚と呼んでいるそうです。ぱっと見、旧街道沿いの3里塚のよう感じです。
かね塚は庚申「カノエサル」が由来では、ないかの事。

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 上には3つ石碑が並んでいます。八木が谷集落から、出て行くときに旅の安全祈願を願って、お賽銭を備えていたようです。今回はここで、住宅街に入っていきますが、道なりに進むと八木が谷木戸(木戸:村の境界の護衛門)があって、本当の村境になります。
辻切りも行われていたそうです。この辺りでは、木剣をたたきあい、道沿いに五刻を煎ったものを筋上に埋めていたそうです。

辻切りについては、WIKI先生にお願いですw。
 
 辻切り:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%88%87%E3%82%8A

 船橋では中野木の大蛇の辻切りが有名です。写真でしか見たことがありませんがw。

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 かね塚を右に曲がって、住宅街へ入ります。今朝頂いた資料をみると、集落の境界の道のようです(逆かな?、道を境界に地名をつけたのかな??)それにしても、獣道が立派に成長して住宅地のアスファルト道路になっていると考えると、当然なだけに、とても奇妙に感じます。
謎の集団は、こんな感じで、ぞろぞろと住宅地を歩いていきます。年配の地元の方が殆んどで、友だちと参加されている方が多いので、歩きながら、ここは昔どうだった的な話し声が、あちこちで飛び交っています。
なんとも歩いているのは、今朝、にじ御殿から公民館まで自転車で走ったコースです。51話の「ばりすぱ」地帯もかすめていきます。
 51話:http://nijiura.blog.so-net.ne.jp/2011-11-03-5

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 そして、何度も出てきた二重川に到着です。
はい、写真は使い回しですw。

八木が谷方面を歩こう その2に続きます。

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船橋徘徊 その11 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 山形にいる後輩からの連絡で、上京するから遊びに来たいとのことです。それはいいのですが、何故に月曜日?これが土曜日であれば、他の面子にも声が掛けられるというのに。
 今朝はLaura Nyroが聴きたかったのですが、仕事場のCDPがCDを認識してくれません。PCでも、居間のステレオでも再生できるのに、一寸妥協でHelen EriksenのSTANDARDS 1996年のアルバムです。サックスにボーカル、作曲までやってしまうマルチプレイヤー、一寸暗い感じの音楽は朝向きじゃなかったかなw。

65)船橋徘徊 その11
 10月30日、気持ちのいい秋晴れの日曜日、自転車で船橋大神宮を目指しました、そして辿り着きました。おまけみたいになってしまった、その続きです。

 さて、ようやく最終回です。空はどんより低い雲が、立ち込めてきていますが、降水確率30%。問題はないでしょうw。
 しかし、ここでおおいなる不覚、新船橋の駅前についてみると、博物館の場所が良く解かりません。おまけに何を勘違いしていたのか、にじは、すっかり郷土資料館に行く心算になっていました。
駅前の交番で、訊いてみると郷土資料館はここにはないとのこと、博物館の場所を丁寧に教えてくれました。
 まあ、博物館でもいいではないですか、似たようなものです。博物館は駅から自転車で5分ほどの所にありました。

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 3階建ての、ボールトの屋根のきれいな建物です。館内には他のお客さんがいる気配がまるでありません。自動券売機で100円の入場券を買って中に入ります。チケットを見るに、正式名称は船橋市飛びノ台史跡公園博物館のようです。
1階には、ビデオブースがあるだけで、他に見るものはありません。15分程の遺跡の紹介です。
 ここで、ようやく気が付いたのですが、どうやら、この場所で遺跡が発掘されて、それを紹介する施設のようです。でも、それって博物館なのかな?

 博物館に対して、歴史や文化を総括的に展示する、ごった煮のようなイメージを持っていましたが、実際は博物館法という謎の法律でちゃんと規定されているみたいです。
そんなものを、解説できる能力も、気力もありませんので、印象で大雑把にいうと、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学に関する資料を収集し、保管、展示する場所のことのようで、美術館、自然史博物館、考古博物館、植物園、動物園、水族館も含まれるようです。
わりと、なんでもありみたいですね。そしたらこの施設も博物館と名乗っても一向に、差し支えないというわけです。

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2階が展示ブースです。この敷地で発掘された土器や住居跡、石矢じり、竪穴式住居の模型、などなど、割と何処でも見かけるような展示が並んでいます。
 縄文時代には、各地の突出した特性とはないのでしょうか、何処の説明を見ても同じに見えます。正直退屈ですw。

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 にじは、芸術家ではないので、縄文土器を見ても爆発だとかは感じません。でも、日本中で同じような模様の土器を作っていたのかは、とても不思議に感じます。
流行なのか必然なのかすら、イメージできません。
 今日の最大の収穫は、3階にあった、船橋遺跡名一覧表です。八木が谷周辺の遺跡は柏上遺跡、八木が谷城跡、八木が谷王子遺跡、八木が谷出羽三山塚、八木が谷五丁目所在塚、八木が谷上人塚、いろいろ記載されています。
まだまだご近所で楽しめる要素が、ありそうでわくわくです。

 3階の窓から、外を眺めると…雨。にじの自転車も、相方の自転車も泥除けが付いていないんですw。雨に濡れるのも嫌ですが、後輪で背中に泥水をかぶり続けるほうが、もっと嫌です。
今日は、コンクリートの固まり住居を眺めるのは諦めて、ダッシュで帰ります。帰ってお風呂と、熱燗が楽しみです。

おしまい。
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船橋徘徊 その10 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 すっかり寒くなって、湯豆腐が美味しい季節になりました。にじの所には、毎日夕方になるとラッパを鳴らして豆腐屋さんがやってきます。その豆腐がとても美味しいのです。
湯豆腐と熱燗は冬の定番ですねw。
 今日はSarah VaughanのBrazilian Romance 1987年のアルバムでお仕事です。他界する3年前の、彼女の遺作です。ポップで気持ちのいい一枚ですw。

64) 船橋徘徊 その10
 10月30日、気持ちのいい秋晴れの日曜日、自転車で船橋大神宮を目指しました、そして辿り着きました。おまけみたいになってしまった、その続きです。
海老川大橋を下ると、隣はララポート東京ベイです。休日なので人で一杯です。最近朝のニュースで、自転車の歩道走行禁止のようなことが、大きく取り上げられていて、人が少し多いと自転車を降りて押してしまいます。
通勤通学ではないから、できるんですけどw。自転車は、歩道を走ってはいけないとなると、お巡りさんや郵便配達はとても困りますよね。特に郵便屋さんは、ガードレールのある道路では、飛脚状態ですねw。
お巡りさんは緊急時には、赤色灯を点けて歩道を自転車で走行するのでしょうか?随分滑稽な法律を作ったものです。

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 ちらりと写るララポート右端の円筒形の部分が、くるくる廻る展望レストランです。このララポートも、もう30年です。西館は来年の1月末で閉館です。
思えば、開館当初はまだ小学生で、友だちと一緒に地震体験館に行きました。普通の建物なら30年はまだまだ現役ですが、設備的にはもう更新の限界なのでしょうか?商業建築は何処で原価償却を見込んで作っているのでしょう。
 今はビッグカメラになってしまった、村野藤吾の有楽町そごうが1963年竣工、もう50歳近いのですが、まだ現役です。(でも、そろそろ厳しそうにも見えます)
国は100年住宅なんて言っていますが、現実は30年位で建て替えてしまいます。さて、手っ取り早く壊せて再利用できる建築と100年壊れない建築とどちらに未来はあるのでしょう。

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 お目当ての、喜翁閣(きこうかく)はララポートの敷地内にあり非公開ですが、外観は外から眺めることができます。
パンフレットによると大蔵喜八郎(明治~大正の実業家)向島別邸を一部移築したものとなっていますが、なんだか良く解かりませんね。要は、大正時代くらいに作られたものという感じでしょうかw。
そうすると、大正元年生まれで99歳、これが100年住宅ってことですね、確かに充分住めそうですが、どんなものでしょうw。
こんな時のための、総覧日本の建築 日本建築学会編 関東の巻を紐解くと、なんと言うことでしょう、載っていません。
はい、結論です。日本建築学会も評価するに値しないと判断した迷建築ですかねw。

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 外観は、かなり頭でかっち、でかい、そしてごつい。通常頭でかっちの外観は、かなり頼りなく間抜けな印象を受けるのですが、たくましさを感じます。
出窓の窓台も、この通り。面白い意匠で丁寧な仕事です。なのに繊細さは感じません、物凄く野太い感じがします。
 まあ、かわいげがないとも言えますがw。

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 裏側の窓台も、こんな感じです。方杖が太く、ピッチも狭いから無駄に堅牢な感じがするのですかね。
それとも、全て締め切られた雨戸の拒絶感が、かわいげのなさを醸し出すのか、庇は低いほどいいと言うのは、納得できます。

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 化粧垂木も実に丁寧です。部材は必要以上に、ごつくもないのですが、華奢な感じが微塵もしません。実に不思議です。
充分楽しめたので、再出発。空はだんだん曇っています。新船橋によって、史跡公園博物館を見学して、お気に入りの住宅を眺めることにします。

船橋徘徊 その11に続きます。
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船橋徘徊 その9 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 なんだか、頭の中がくしゃくしゃする木曜日、困ったものでどうにもすっきりしませんw。
こういう朝のBGMは、David BenoitのUrban Daydreams 1989年です、熱い珈琲に合わせて、気分だけでも爽やかになってみようと、努めてみますが、うまくいかないものですww。

63) 船橋徘徊 その9
 10月30日、気持ちのいい秋晴れの日曜日、自転車で船橋大神宮を目指しました、そして辿り着きました。おまけみたいになってしまった、その続きです。
今度は、海老川に沿って、海に向かうことにします。特に目的地はないのですが、住宅地を抜けて国道14号を渡ると、そこは湊町。

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 京葉道路の高架をくぐると、景色は開けて漁船の並ぶ船だまりになります。釣り人は3人ほど、短めの竿でちょい投げしています。
暖かい日差しの下で気持ちよさそう。窮屈でないのがとてもいいです。船だまりをまたぐ、アーチ型のコンクリート橋を渡って、対岸へ。
対岸には、海老川排水機場があり、歩行者は水門の上の管理通路を渡って、海老川の対岸に行くことができます。
しかし、そこには一枚の張り紙w。海老川水門管理通路は当面の間、通行止めとなります。東日本大震災の影響がこんな所にも出ていました。
 本当は、ここで海老川を渡って、浜町に出て、ららぽーとで給水、そして喜翁閣を眺めようかと、目論んでいたのですが計算外です。
仕方がないので、港へ向かってみます。結構大きな港ですが、船は出払っているようで、閑散としています。冷凍倉庫の回り人たちも、なんだか退屈そうにしています。

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 向かいには、遠くららぽーとの姿。本当はあそこに居る筈だったのにw。

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 入り口傍らの倉庫には、整備中の漁船のエンジンがおいてありました。スクリューって船体に対しても、エンジンに対しても随分小さいいのですね。妙に感心です。
 こちらは、釣りは禁止なのか、関係者以外立ち入り禁止なのか、一般人はにじたちだけのようです。あんまりうろうろして、注意されるのもつまらないので、一頻り眺めて退散することにします。
折角なので海沿いに向かって更に進み、国道357号でららぽーと側に向かうことにします。
 漁港の周りは、高い堤防で覆われており、所々にある入り口も、頑丈な鉄の扉で閉ざされています。時々人が通れるほどの幅が開けてあります。
コンクリートの塀と、工場の壁も見飽きてしまったので、中に入ってみます。

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 砂の積み込み場のようです。休みの所為で人影もなく、砂の山がきれいに積み上げられているばかりで、ガランとしたコンクリートの岸壁が、そのまま海へ続いていきます。
ようやく、海に辿り着きました。この辺りは液状化の影響は殆んどなかったようで、至って平穏に見えます。
 国道に出るのに、一寸苦労して、海老川の河口を渡る海老川大橋には更に苦労。(足がつりそうでしたw)

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海老川大橋の上から、船橋港を一望。随分遠く(高く?)まで来たものですw。

船橋徘徊 その10に続きます。
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船橋徘徊 その8 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 休日なのですが、ちょっと溜まってしまった、雑務をこなしてしまおうと、平常運転でスタートしましたが、どうも捗りませんw。些事をこなしているだけで、もうお昼前ですw。全然仕事になっていないですw。寒さにも体が慣れてきたようで、10℃しかない室温で机の前に座っても、ひどい苦痛は感じなくなってきました。
つくづく人間は慣れてしまうものです。我ながら感心ですw。

61) 船橋徘徊 その8
 10月30日、気持ちのいい秋晴れの日曜日、自転車で船橋大神宮を目指しました、そして辿り着きました。おまけみたいになってしまった、その続きです。
今度は、海老川に沿って、海に向かうことにします。特に目的地はないのですが、無駄に海を目指してしまうのは、「自分探しの旅」のお約束ですからw。

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 魚介類の加工場や漁業の道具達がちらちら見え始めて、海の近くの雰囲気がしてきます。町の区画が整っているのは、埋立地だからなのでしょうか、それとも海の男達は、意外と几帳面なのでしょうか。
埋め立ての歴史を調べてみるのも面白そうです。ちょっ川沿いから離れて、川と平行な町並みを観察しながら進行します。

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 下見板張りに 紅柄(ベンガラ)塗りのようです。町屋と違って、軽々しています。海が近い分外壁が傷みやすいための、紅柄とも推察できます。
エンジンつきの漁船が沢山あるようなので、木部に古オイルを染み込ませる、なんて工法が生まれてきても良かったのではないかとも思いますが、やっぱり家にそういうものを塗るのは抵抗があったんでしょうか、それとも職種の間の壁なのか。
枕木みたいに、落ち着いた感じになると思うのですがw。

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 こちらは、また不思議な形です。実際、半間程持ち出した所で構造的にはたいした、話ではないのですが突き出した部分の、薄い破風に対し開口のない白い壁面がやけに強調されて、モダンな香りに包まれています。なかなかの迫力です。

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 こちらは、オーソドックスな感じです。どっしり屋根が重く、商いをやっていた感じです。そういえば、農家の屋根も、こんな雰囲気があります。
先ほどの紅柄の家と比べてみると、階高と屋根勾配が大きく違います。風の影響を受けたくない、勾配のゆるい海側の住居と、商売ならではの安心感のある重厚な作りとがせめぎあっています。

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 路地も一直線です、かつては排水溝だったのでしょうか、意識して区画が作られた名残に見えます。明らかに町中の雑多な区画とは異なっています。この辺りも埋立地なのかもしれません。

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 その近くの民家の窓なのですが、画像ではわかりにくいですが、この波打ったようなガラスは、厚さが不均等で平らにする技術ができる前のものです。昭和の中旬から今のフロートガラスになります。このガラスは相当古そうです。
以前に、昭和の初期の建物でこのようなガラスを見たことがあります。こちらの民家はそこまで古くはなさそうですが、時代を感じます。

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 再び海老川沿いを軽快に移動していきます。景色もどんどん変わっていきます。無造作に散らかった、町の区画もきれいに揃ってきます。川の匂いもだんだん塩分混じりに。
川沿いに、停泊するボートの数も増えて、海が近づいていることが実感できます。

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 48話の八木が谷発見塾 その1で紹介した写真です。国道14号が海老川を渡る部分です。船橋橋を渡ると、町名もそのままズバリの湊町になります。
恐らくこの辺りが、かつての海岸線だったのでしょう。勿論面影は感じられませんが。

 海を目指して、船橋徘徊 その9に続きます。
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