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八木が谷方面を歩こう その1 [船橋 高野台・八木が谷 周辺]

 一寸慌しい、日曜日です。洗濯を済ませて買い物に出かけます。にじ御殿のかわいい庭では、ラズベリーが実を付けていました、夏の台風の塩害から息も絶え絶えでしたので、少しでも子孫を残そうという、本能なのでしょうか、今朝の一枚は、Fairport ConventionのRosie 1973年のアルバムです、マンドリンを多用した、フォークともカントリーとも付かぬ、陽気な構成が気持いいです。なかでもお気に入りは Peggy's Pub ご飯が3杯はいけそうですw。

66) 八木が谷方面を歩こう その1
 11月5日 2回目の八木が谷発見塾です。今回はタイトルの通り、八木が谷地区を実際に歩いてみる事になっています。
すっきりしない曇り空、天気は何とか持ちそうですが、曇り空でもにじのデジカメはブレまくって、まともな写真が撮れません。
それが一番気がかりですそろそろ、買い合え時期ですね。
 今回は、時間通り10分前に公民館に到着、会場も人で一杯です。なんだかフィールドサーベイに相応しい、ポケットの沢山付いたベストに山高帽、キャラバンシューズそして左手には画板を抱えて、完全武装の人までいます。
にじ達は、いつもどおり普段着です。水筒くらい持ってくれば良かったかなw。
 講師は前回と同じく滝口昭二先生です。先生は10分前に現れて、携帯用の拡声器を準備すると、「さあ時間がもったいないので、さっさと行きましょう」
開始時間前なのにと、ちょっとあわてて、短い挨拶をするスタッフを尻目に、ちゃきちゃきと扉に向かっていきます。本当に面白い御仁です。

 公民館の玄関で、簡単にコースの説明をすると、あっという間に先頭を切って、北側の出口へと歩き始めます。その後ろを30人の変な集団がぞろぞろ続きます。
傍からみると、何の集団に見えるのでしょう。観光地でも行楽地でも自然を満喫する所でさえありません。
八木が谷小学校の横の畑の間の道を南に進むと、小さな盛土の小山があります。

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 庚申塚なのですが、この辺りではかね塚と呼んでいるそうです。ぱっと見、旧街道沿いの3里塚のよう感じです。
かね塚は庚申「カノエサル」が由来では、ないかの事。

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 上には3つ石碑が並んでいます。八木が谷集落から、出て行くときに旅の安全祈願を願って、お賽銭を備えていたようです。今回はここで、住宅街に入っていきますが、道なりに進むと八木が谷木戸(木戸:村の境界の護衛門)があって、本当の村境になります。
辻切りも行われていたそうです。この辺りでは、木剣をたたきあい、道沿いに五刻を煎ったものを筋上に埋めていたそうです。

辻切りについては、WIKI先生にお願いですw。
 
 辻切り:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%88%87%E3%82%8A

 船橋では中野木の大蛇の辻切りが有名です。写真でしか見たことがありませんがw。

066003.JPG

 かね塚を右に曲がって、住宅街へ入ります。今朝頂いた資料をみると、集落の境界の道のようです(逆かな?、道を境界に地名をつけたのかな??)それにしても、獣道が立派に成長して住宅地のアスファルト道路になっていると考えると、当然なだけに、とても奇妙に感じます。
謎の集団は、こんな感じで、ぞろぞろと住宅地を歩いていきます。年配の地元の方が殆んどで、友だちと参加されている方が多いので、歩きながら、ここは昔どうだった的な話し声が、あちこちで飛び交っています。
なんとも歩いているのは、今朝、にじ御殿から公民館まで自転車で走ったコースです。51話の「ばりすぱ」地帯もかすめていきます。
 51話:http://nijiura.blog.so-net.ne.jp/2011-11-03-5

047002.JPG

 そして、何度も出てきた二重川に到着です。
はい、写真は使い回しですw。

八木が谷方面を歩こう その2に続きます。

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はなだ雲

こんばんは、zappaさん

八木が谷発見塾って
講師の人の案内で
色んな人が集まって、歩いて八木が谷を
発見していくツアーですか?

船橋も、いろいろ面白そうですね

庚申塚って都電荒川線の駅名だと思ってましたが
石塔なんですね
by はなだ雲 (2011-11-27 21:46) 

zappa

 おはようございます。

 八木が谷発見塾は、だいたいそんな感じで、講師をはさんで地域の人が地域の歴史を勉強する講習会です。
 1回目は、室内での講義、2回目は外を歩いて実際に見てみるという構成です。残念なことに、2回でおしまいです。又、似たようなものがあったら参加しようと思っています。

 庚申塚は、本来的には信仰の色合いがあったようですが、実際は、定期的に集落の若者が集まって、夜通しおしゃべりをしたり、場合によっては、お酒も入る、娯楽的な要素が強かったみたいです。
by zappa (2011-11-28 07:50) 

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